創業1804年(文化元年)。
初代蔵元 石田屋二左衛門以来、黒龍酒造ならではの酒造りを追求してきた。
水質に優れた土地柄や松岡藩が奨励したこともあり、全盛期には17を数えた酒蔵も、
今となっては石田屋の屋号を持つ黒龍酒造と、他一軒。
これは、伝統文化である日本酒造りを頑ななまでに守り続けた結果である。
7代目蔵元水野正人は同じ醸造酒としてのワインに深い興味を抱き、フランスやドイツを歴訪。
ワイン同様に日本酒を熟成できないかと試行錯誤を続ける一方で、
少量で高品質な酒造りだけを追求し続けていった。
そうして生まれたのが「黒龍 大吟醸 龍」。
市販ベースにはなり得ないという酒造業界の常識に屈することなく、
全国に先駆けての大吟醸酒の商品化であった。
他の酒よりも高額だったことは、酒蔵としての意地でもあった。
思えば酒は古来より、ハレの日に欠かせないもの。
日ごろ、仕事に励む人々が数少ない祝祭の場で口にしたものであった。
そんな伝統文化である日本酒の良質な部分を守り続けていきたい。
創業1804年(文化元年)。
初代蔵元 石田屋二左衛門以来、黒龍酒造ならではの酒造りを追求してきた。
水質に優れた土地柄や松岡藩が奨励したこともあり、全盛期には17を数えた酒蔵も、今となっては石田屋の屋号を持つ黒龍酒造と、他一軒。
これは、伝統文化である日本酒造りを頑ななまでに守り続けた結果である。
7代目蔵元水野正人は同じ醸造酒としてのワインに深い興味を抱き、フランスやドイツを歴訪。
ワイン同様に日本酒を熟成できないかと試行錯誤を続ける一方で、少量で高品質な酒造りだけを追求し続けていった。
そうして生まれたのが「黒龍 大吟醸 龍」。
市販ベースにはなり得ないという酒造業界の常識に屈することなく、全国に先駆けての大吟醸酒の商品化であった。
他の酒よりも高額だったことは、酒蔵としての意地でもあった。
思えば酒は古来より、ハレの日に欠かせないもの。日ごろ、仕事に励む人々が数少ない祝祭の場で口にしたものであった。
そんな伝統文化である日本酒の良質な部分を守り続けていきたい。